6月のペンキ句会


6月のペンキ句会のご案内です。


  • 日時:2024年6月9日(日) 13:15~15:30

  • 場所:愛知県刈谷市中央図書館 2F 研修室

  • 投句:兼題「ふん(漢字もOK)」または雑詠5句


 ※夏雲システムを利用しています。参加を希望される方は

  前々日までに連絡をください。

だいたい東海道歩き(未定)三条大橋に到着しました


いきなりですが、五月十一日

三条大橋に到着しました。

あとは十八日の「窓の会」常連の

集い当日に、三条大橋から京都駅

まで歩けば、一応、当初の思いつき

を達成したことに。

逆光で見えない三条大橋の標識。



鴨川









桑名からの行程もおいおい綴っていきます。

そういえば、歩きながら俳句は一句も

できませんでした。



だいたい東海道歩き(8)庄野から亀山

 庄野宿は東海道で最後に設置された宿場だそう。小さくて宿泊客も少ない地味な宿場町であるが、広重の東海道五十三次で最も有名といっていい「庄野・白雨」の絵が生まれた。



旧小林住宅。


途中、堤防を歩く。鈴鹿川と安楽川の合流点。気持ちの良い道だったが、写真にまったくそれが表れていない。


井田川駅のかたつむりをまたいで


亀山といえばローソク、ローソクといえば亀山、の亀山ローソク

亀山宿に到着



だいたい東海道歩き(7)石薬師から庄野

 石薬師宿は佐佐木信綱と卯の花であふれていました。


信綱かるた道って?短歌ポスト?


ここ石薬師村(当時)で生まれたんですね。


ほぼ歩くだけでどこにも立ち寄らないことをモットーとする旅ですが、佐佐木信綱記念館に吸い込まれる。隣には生家も。


こんなふうに道沿いに信綱50首が飾られている。愛されている。



石薬師の一里塚跡。ここで初めて東海道を歩いているらしい若者を見かける。が、目礼のみ。


JR関西線の加佐登駅。名古屋から三重県へは近鉄しか利用したことがなかった。読み方もわからない駅も。





だいたい東海道歩き(6)四日市から石薬師

 四日市のB級グルメであるトンテキがとても食べたい時があった。



日永のつんつくおどり。つんつくおどり?


たまに国道を歩くと緊張する。歩道はあってもおよびでない感じ。


東海道のなかでも急な坂、杖衝坂。芭蕉さんがあまりの急坂に落馬したそう。写真ではあまりわかりませんが、膝にしみいるような急さ加減でした。


親切な看板に導かれ


こんな道を通って

石薬師宿に。
四日市では息子の家に寄り、東海道を歩いていると伝えると「バカジャナイノ」と正しい反応をもらいました。







だいたい東海道歩き(5)桑名から四日市

桑名は雨。桑名市物産観光案内所の人に「もうすぐ雨は止みますよ」と言われて歩き始める。


七里の渡し船着き場


反転して四日市の方向に歩を進めると、目的地である三条大橋のレプリカ(?)が


日本橋も


これを見てがんばれってことなのでしょうか。どちらかというと力が抜けたけれど。


私は一生この公園が何色なのかわからないのかな。


旧東海道は写真のような生活道路が多く、通学路になっていて歩きやすい。地図を見るとくねくねと遠回りな気がして国道一号線を進みたくなるが、安全に楽しく歩くならこちらを選ぶべき(結論)。


雨が全然止みません。
交差点の名は「柿」。柿食べたいけれど今は春。



朝日町、富田町を経て羽津町。三ツ谷の一里塚の石碑。
晴れました。


ここも東海道!


だいたい東海道歩き(4)鳴海から宮(熱田)

鳴海宿で今年はじめての西瓜(ジュース)を飲む。最近どんどん好きになる西瓜。

笠寺一里塚

「東海道を歩いているんですか」と声をかけられる。一目でわかるようで、このあともしばしば声をかけられることに。



名古屋市伝馬町の芭蕉屋敷(芭蕉が生い茂る屋敷)

のアップ


宮宿
七里の渡し船着き場跡に到着。
かもめと一緒にここから三重県桑名までワープしてもいいかな。




だいたい東海道歩き(3)池鯉鮒から鳴海

 更新はしていませんが、歩いています。


豊明市にある豊明花き地方卸売市場。世界で有数の流通量を誇るらしい。
折りしも花ざかり。とはいえ椿に薔薇、芍薬、藤、いっぺんに咲きすぎ。
人通りがまったくないのがもったいない。

 
せっかくなのでもう一枚


東海道らしい史跡があるとちょっとうれしい。阿野一里塚


有松を経て鳴海へ

民家の郵便受けにこんな貼り紙をみつける。私が中日新聞の関係者なら泣いて喜ぶ。多分、新聞と郵便物の受け入れ口を分けたいだけだと思うけれど。